元精神疾患ニートの人生大逆転劇

2022年11月に精神疾患で新卒入社した会社を1年8ヶ月で退職。その後は自責の念に苛まれてクソみたいな生活を送っていましたが、人生を大逆転させるために動き出しました。そんな男のブログです。

第一志望の御社からのお祈りメールを受けて、気づいたらアポなしで本社に突撃していた話

皆様はじめまして。

あおりんごと申します。

 

先週、とあるビジネス書で「ブログはアウトプットの王様」と書いてあるのを見て、

はてなブログのアカウントを取得しましたが、

なかなか記事を書く機会がありませんでした。

 

ですが、一昨日起きたとある事件を、是非記事に残したいと思い、

本日はじめて筆を走らせております。

 

完全に思いつきだけで書き殴っているので、読みづらい部分も多々あると思います。

温かい目で見て頂けるとありがたいです。

 

 

それでは、時系列を追って、何が起きたのか書いていきます。

 

 

私のこれまでについて

 

私は1998年7月、愛知県に生まれました。

 

特に家庭環境が悪いわけでもなく、順当に小学校、中学校、高校、大学と進学し、

2021年3月に大学を卒業し、新卒でとある会社に入社しました。

 

しかし、その会社で精神をぶっ壊してしまいました。

 

精神をぶっ壊した理由としては以下のように考えています。

 

  1. 自分が将来どうなりたいのか、そのためには何をしたらいいのか、といった目的が一切ないまま入社してしまった。
  2. 入社後も自分が何をしたいのか、どうなりたいのか、一切考えずに惰性で仕事をしていた。
  3. その割に、難しい専門的な仕事をたくさん振られてしまい、周囲に頼ることもできずに抱え込み、無理して自分でなんとかしようとして、踏ん張りすぎてしまった。

 

一度精神がぶっ壊れてしまったらまあ大変です

 

とにかく早く○にたい。希○念慮で脳内が支配されてしまう。

生きた心地もしない。

常に気持ちが落ち着かずに、何をしていても時間が経過しない。

それなのに、眠れないし食事もできないし風呂にも入れない。

外に出ることもままならない。

 

私は耐えかねて幾度と自○未遂を繰り返し、親も妹も友達も泣かせました。

精神科の閉鎖病棟に約1ヶ月間、強制入院もしました。

それでも一向に改善する気配はありませんでした。

 

ですが、療養を続けていたら、徐々に精神状態が上向いてきました。

立ち直ることができた理由は、紛れもなく" 周囲の人の支え "のおかげです。

心の底から感謝しています。

 

昨年の夏頃、精神状態が回復してきてからは、読書や資格取得に励み、

勤務時間の制限付きではありましたがアルバイトを始め、

このブランク期間を可能な限り埋めようと動き出しました。

 

そして、先月末。

取得したかった資格も取得でき、労働時間の制限もなくなったため、

再就職へ向けて就職活動を開始しました。

 

 

 

御社との出会い

 

さあ、完全復活し、就職活動の開始です。

 

ですが、私は1年8ヶ月もブランクがある身。

正直どうしたら就職できるか、見当もついていませんでした。

 

そこで、私は「とりあえずいいとこ行くにはコネ使うのが一番だろ」

という、超なめくさった、安直な考えから、

インスタのストーリーで「誰か職場紹介してください!」という旨の投稿をしました。

 

そうしたら意外にも多くの反応をいただきました。

「俺にも紹介してくれよ...」っていう仕事に疲れ切った同級生や、

「○○(元職場名)に戻ってこい!」と言ってくれる元職場の同僚もいました。

 

そのなかで、大学のとても優秀な先輩が、

「よかったら今働いてる会社の選考受けてみない?」

と言ってくれたのです。

 

繰り返しますが、私は1年8ヶ月のブランクがある身。

大体の会社からは、その事実だけで門前払いされるのが目に見えていました。

そんな中、ようやく先輩が恵んでくれた大チャンス。

 

わらにもすがる思いだった私は、

二つ返事で「お願いします」と答えました。

 

蓋を開けてみたら、紹介して頂いた御社は、将来性も待遇も言うことなし。

精神疾患ニートの私が、人生逆転の糸口を掴むための、絶好の機会だと思ったのです。

こうして、御社と私との戦いの火ぶたが切って落とされました。

 

 

敗北

 

先輩から御社を紹介してもらった私は、

エントリーシート提出までの期限もあまりなかったので、

完全にゼロの状態から、突貫工事でエントリーシートの作成に取り組みました。

 

まずは転職のノウハウを書いた本を読み、メソッドをインプットする。

そして、インプットしたノウハウをエントリーシートの内容に落とし込む。

最後に、親しい友人2人にお願いして内容をチェックしてもらう。

 

以上の流れで、5日ほどでエントリーシートを完成させ、御社に提出しました。

 

書類選考の結果は合格

 

息つく間もなく一次面接の案内を受信。

一週間以内にAI面接を受けて欲しいとのことでした。

 

実は当時、前々から一週間ほど東京に行く予定があり、

名古屋から高速バスで東京へ向かっていたのですが、

その車内で書類選考合格とAI面接の案内メールを受け取りました。

 

よって、東京では色んな友人に会って、ラーメンを食べて、サウナに入って、

まったり過ごす予定でしたが、

東京でもひたすら面接対策に勤しんでいました。

 

そんなこんなで突貫工事で仕上げたAI面接も、なんとか合格

次のステップへ進むことになりました。

 

次はオンラインで人事の方との面接。日程はおよそ一週間後。

この頃から、私は受かったあとのことばかりを見据え、

入社後に必要なスキルを伸ばすための勉強を開始していました。

それがのちのち大きな敗因になるとも知らずに。

 

一週間後、いざ始まったオンライン面接。

過去の経験についてひたすら深堀りをされた私は、

その場しのぎの上辺だけの回答しかできませんでした。

未来ばかりを見据えて、過去の分析がおろそかになっていたのです。

 

そして、オンライン面接終了。

馬鹿な私は、全然過去の質問にしっかり答えられなかったにも関わらず、

「気合いだけは見せられたしいけるっしょ!」

みたいな、根拠のない手ごたえを感じていました。

 

そして、おととい、7月26日の金曜日。

私は大好きなオリックスを応援することと、九州在住の友人に会うことを目的に、

新幹線で博多に向かっていました。

これも就職活動を開始する、かなり前から決まっていた予定です。

 

その新幹線の車内で「不採用」のメールを受信したのです。

(どうして大事な連絡を、どこかに向かっている途中にばかり受け取るのでしょうか、、、笑)

 

こうして御社との戦いに敗れたことを知った私は、とある奇行に出ます。

まあタイトルにある通りではあるのですが、次の段落にて詳細を説明します。

 

 

決然

 

(※ちなみにこの「決然」という段落タイトルは、オリックスの西川龍馬選手の応援歌から拝借しました。西川選手、オリックスに来てくれてありがとうございます。)

 

博多に遊びに行って、ここまで転職に向けて邁進していた自分を労おうと、

完全に脳内が遊びモードに切り替わっていた私。

 

その新幹線車内で受信したメールに書かれた「残念ながら~」の文字。

 

私は気づいたら大阪で途中下車し、速攻で名古屋に戻っていました。

東京の本社に行って直談判し、もう一度チャンスを頂こうと思ったのです。

 

名古屋駅に帰ってきた私は、とりあえず自宅まで戻り、

冷水シャワーで汗を流して、即スーツに着替え、東京行きの新幹線を予約し、

博多に行くための荷物を背負ったまま、博多とは逆方面に向かいました。

 

東京へ向かう新幹線の車内で、博多で泊まる予定だった宿も、美容院も、

友達と行くために予約していたもつ鍋のお店も、全部キャンセルし、

2日間に観に行く予定だったオリックスvsソフトバンクの試合のチケットは、

2枚とも破り捨てました。

 

バカだと思うでしょ?思いますよね?

 

けど、1年8ヶ月も、精神疾患でくすぶってて、

何の職歴もなかった自分が、なんとか人生を逆転させるためには、

これくらいの熱意は見せたかったんです。

そうしないと気が済まなかったんです。

 

落とされた面接で上手く答えられなかった質問に対しては、

もうその日のうちに完璧に答えられるように対策していましたし、

「どっからでもかかってこい」ってくらいの気持ちでした。

 

こうして、東京の御社のオフィスの前に到着。

私は「会社の前に来客用の電話があって、それで事情話せば会ってもらえるかな」

くらいの安直な考えでした。

 

ですが、実際は入館証がないとオフィスビルのエレベーターにすら乗れない、

という厳重体制でした。

そりゃそうですよね。自分みたいなやばいやつが来たら困りますからね。

 

せっかく博多を諦めてまで東京に来た私は、採用担当者に連絡し、

超おこがましいですが、

「今本社まで来ました!もう一回チャンスください!」

と連絡しました。

 

そうしたら、なんと採用担当のトップの方が電話してきてくださりました。

こんな馬鹿のために本当に申し訳なかったです。

 

どんな話をしたのか、詳細は伏せますが、

結果としては「どうしても無理だ」と、諭されました。

冷静に考えたら当たり前なんですけどね。

 

こうして私はオフィスの前をあとにし、東京駅の地下街でラーメンを啜りました。

この日何も食べていなかったので、とりあえず心と身体に栄養が欲しかったのです。

 

 

「さて、もう御社に対してこれ以上できることはないか...」

と思いながらラーメンを食べていたのも束の間、

 

御社の中途採用の募集要項を見つけ、

速攻でエントリーシート仕上げて再応募しました。

 

おそらく門前払いされるとは思いますが。

本当に行動力だけが取り柄の馬鹿な男です。

 

その後は、せっかく東京に来たんだからと、友人と会う約束を急遽取り付けました。

約束の時間まで、ぼけーっと東京駅の外のベンチで待機。

そこで目にしたのは、

死んだ魚のような目をした、かつての自分のような社会人や、

充実感ある凛々しい表情をした社会人。

私は、絶対に前者から後者になってやると誓いを立てました。

 

 

こうしてその日の深夜に、急遽東京駅に来てくれた友人と話をし、

翌日もエントリーシート添削や面接対策に協力してくれた友人と会食しました。

 

オフィスに殴り込みに行ったおとといは、

一人でカラオケに行き、夜を明かしましたが、

アドレナリンが出ていたからか、一睡もできませんでした。

ですが、不思議と翌日は全く眠くありませんでした。

 

そして、本日博多で会うはずだった友人との予定も、

友人に事情を話してリスケして、高速バスで愛知へと帰りました。

 

 

 

 

この結果と行動を受けて

 

こうして、馬鹿みたいにオフィスに突撃しましたが、結果は覆りませんでした。

 

あれだけどうしても入りたかった御社なので、

落ちてさぞかし悔しいだろう、と思われるかもしれませんが、

一切悔しくありません。強がりでも誇張でもなんでもなく。

 

大切なのは、将来のビジョンを定めること。

そして、そのためにやるべきことをやること。

私は将来像を見据え、やるべきことをやり切ったので、悔しさはありません。

 

また、今回オフィスまで行ったことを友人に話したら、

「お前よくそこまでやるな」と言われました。

 

そりゃそう思うでしょう。

ですが、私は一度死んだ身です。

 

自ら命を絶とうと決めた、あの時の覚悟に比べたら、

これくらいの覚悟は10000分の1にも満たないです。

 

当時は物凄く迷惑をかけましたが、結果として、

私は「一度死んだ」と開き直ることで、

本当に生きたい生き方に対して心から貪欲になれました。

 

この記事を読んでくださっている方の中にも、

路頭に迷っている方がいるかもしれません。

 

無責任なことはあまり言えませんが、ひとつだけアドバイスさせてください。

 

「一度死んだつもりで生きてみませんか?」

 

私は、別に迷惑はかけてもいいと思っています。

情けない、ダサい生き方でもいいと思っています。

あなたの人生は、あなた自身のものです。

 

せっかく、平和で、ご飯も美味しい、娯楽もたくさんある、

こんなに素敵な日本に生まれてこられたのに、

誰かに規定されながら生きるのは、もったいないと思いませんか?

 

もし、何か相談してほしいことがあれば、気軽にコメントください。

 

 

本日の記事はここまでにしておきます。

また、本記事のアナザーストーリーや、

自分が実践していることや、

人生に対する考え方など、

他に投稿したい内容が出てきたら、ブログを書こうと思います。

 

初ブログなので、読みづらい部分も多々あったとは思いますが、

ここまで読んでいただきありがとうございました。